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電気工事の企業を目指す鶴見の日系ブラジル人

Roberto Tadao Nakano・中野 惟雄 氏

ブラジル・サンパウロ州生まれの53歳

 

彼は、1993年1月頃30歳で来日した。ブラジルでは専門学校や理科系の大学で学び一時、銀行にも勤めたが、生業にするには至らなかった。母国ではなかなか思うような職に就くことができなく、悶々とした日々を送っていた。そんなある日、日本に働きに行っていた友人の誘いかかった。その友人は、ブラジルに一時帰国していたわけです。友人の勧めで、彼は日本に働きに行く決意をした。この時、彼は30歳であった。当時日本では「入国管理法」が改正されていて、ブラジルからは多くの日系人が日本に働きに来ていた(出稼ぎ)。両親の反対もあったが、出稼ぎの決意はそうした時代背景が後押したといえる。いくばくの不安はあった1月の日本は、予想した以上に寒かった。

最初の仕事は、仕事はイスズ自動車の機械部品の梱包作業であった。ところが友人の勧めで、より高い賃金を求めて戸塚で日産自動車に転職した。仕事はドアやボデーの溶接の仕事であった。最初、仕事は楽しかったが単調な作業に飽きて、1998年に辞めた。それで伯父さんの紹介で、岐阜県にあるポリッテック有限会社に勤めた。仕事は電気ストーブや非常口看板を製作であった。ところがそこも辞めてブラジルに一時帰国した。3か月ほどで再度日本に来た。そして、山梨県にある三井金属の工場に勤めることになった。仕事は自動車のドアロック組み立て作業であった。夜勤もあり仕事は体にこたえ大変であった。そこで従兄弟から次の仕事を探してもらい、山梨の職場は退職した。

新たな会社は神奈川県鶴見にあった。その職場こそが、彼の生涯の生業となる電機工事の仕事であった。2年単位で職場を転職してきた彼にして、この職種が18年続いていることがその証といえる。彼自身、この仕事を「大好きだ」と、語っているから間違いない。定職に就き精神的安定したのか、彼は2014年にブラジリア市の通信制の大学に学び出したのである。将来は、小規模ながら電気工事の企業を設立しょうと夢を抱いている。